『枝紅葉』
《長寿、変化》
初々しい春の若緑、生命感あふれる深緑、そして秋には鮮やかに熟す紅葉・・・ と移り変わる季節に応じて見事に色を変える楓は「変化」の象徴です。
風に揺らぐ木と書く楓は、葉っぱの形状から、葉が蛙の手に似ていることから 「蛙手(かえるで)」「かえで」と呼ばれるようになったそうです。
「枝紅葉」文様は、幹から離れた紅葉を意匠化したもの。 落ちゆく葉に、美しさ、もののあわれを感じるのは、繊細な日本人の心のはたらき。流水文様と組み合わせると、よく知られた文様「竜田川」となります。
「枝紅葉」を単独でこのまま用いると、その余白や行間に、目に見えぬ大いなる文脈や意味を感じます。
余白の美は、ときに、描かれたもの以上に雄弁に語りかけてくるなにかを感じる。その空白を読む感覚は、日本人の良さであるように思 います。
『日本の文様ものがたり』(講談社、2015年)及び『人生を彩る文様』(講談社、2020年、唐紙師トトアキヒコ文様ものがたり)から
『信夫の丸』
《子孫繁栄、多福、商売繁盛、夫婦円満》
正月飾りなどにも使われている「裏白」や「信夫」といったシダ類は、葉裏にたくさんの胞子を抱えた姿や、長く垂れ下がることから、子孫繁栄や長寿、商売繁盛の象徴と考えられてきた吉祥文様です。
「裏白」は、ともに白くなるまでなどの意味から、夫婦円満につながります。
世界最古の陸上植物とされるシダは、人類誕生以前から、地球に繁栄してきた存在です。
古墳時代に出土する蕨手刀(わらびてとう)は早蕨(さわらび)がモチーフのような刀で、渦巻きの呪術的な力が宿っているように見えます。
この、毎年春先に立ち上がり渦巻く姿に人々は特別な力を感じ、未来へと続くダイナミクス、繁栄の祈りを託したのかもしれません。
『日本の文様ものがたり』(講談社、2015年)及び『人生を彩る文様』(講談社、2020年、唐紙師トトアキヒコ文様ものがたり)から
『瓢箪』
《子孫繁栄、多福、無病息災、厄除け》
見た目にも強烈な個性を放っている瓢箪。
独特の丸みとくびれが愛らしく、人々を魅了します。
瓢箪は種子の多いことから、子孫の繁栄や多福を呼ぶことを表す吉祥文様。
その縁起の良さから、多くの町家や商人たちに人気があり、かの三井家でもよく好まれて用いられて来ました。
瓢箪に、さらに唐草を加えた可愛らしい瓢箪唐草は、江戸時代の茶人たちにも広く愛されてきました。
また、豊臣秀吉が千成瓢箪を好み、大出世を遂げたのは有名な話です。
他にも、三つ揃えると三拍(瓢)子揃って縁起が良い、また六つ揃うと無病(六瓢)息災となり、想定外のことが良い意味で実現するときには「瓢箪から駒」と言うなど、瓢箪はさまざまな験担ぎに重用されています。厄を遠ざけ、おめでたく暮らす、生活の智慧として愛されてきました。
『人生を彩る文様』(講談社、2020年、唐紙師トトアキヒコ文様ものがたり)から
『散り蓮華』
《浄化、繁栄》
泥のなかから美しい花を咲かせる蓮は、「浄化」の象徴です。
日本では仏教文化の繁栄と共に、多くの文様が生まれました。
泥にまみれず美しい花を咲かせる蓮は「浄化」と共に「純粋」を表し、古来より世界各地で人々に愛されてきました。
古代エジプトでは、母なるナイル川に日が昇ると花が咲き、日が沈むとつぼみ、翌朝また花開くことから、「永遠」「繁栄」の象徴とされました。
また古代インドでは、梵天は蓮華から生まれたと考えられました。
こうして、ロータス(蓮の花)の文様は、世界各地に伝播しましたが、日本へは仏教文化における蓮華文として中国からもたらされます。
一見物足りなさを感じさせるような「散り蓮華」文様。
余白を生かして数少なく配置された、その加減がなんとも絶妙な文様です。
ひとひらの蓮の花びらが、仏の存在をしずかに感じさせてくれます。
『日本の文様ものがたり』(講談社、2015年)から
唐紙師 トトアキヒコ氏100年先を生きる人と共同創造するために。
未来への「種」を残します。
語弊を恐れずに言うと、むかしの日本人は現代人より「おめでたく生きる」のがうまかったような気がします。
縁起を担ぎ、植物の文様を通して、日常の暮らしのなかに吉祥を持ち込み、ほっとしたり、前向きになったり、ポジティブなマインドセットを設定するのがうまかった。験の良さにあやかる力に秀でていたような気がします。
ずっと唐紙師として仕事をしてきて、2013年頃かな、あらためて、「吉祥には、なにかがある」と感じて、「文様は祈りの風景である」という境地に辿り着きました。その後、文様には意味や物語があると提唱するようになったのです。
日本語には、「言霊」というものがあるけれど、それとはまた別の力というか・・呪術的なというか・・「人知れず伝える」という部分が吉祥文様にはあるな、と。
装飾的に見てきれいやなというだけやない。言葉ではなく伝わる「暗黙知」というものが、そこにはある。「うちの文様には人をしあわせにする力がある」と呪文のように口ずさんでいます(笑)。
最近は、『呪術廻戦』や『鬼滅の刃』など、目に見えない力が活躍するアニメが大人気ですけど、日本の文様もそういう目に見えない霊力が宿っているということですね。アニメでは、闇の霊力にスポットが当たりがちな気がしますが。
それで言えば、唐紙は、霊力の光の部分やね(笑) 「縁起」って、今の言葉で言えば、「アセンション」っていうか。そういう異世界へのスイッチみたいなところが、吉祥文様にはあると思う。
人を光にシフトさせる異世界へのスイッチですか。
なかなかコロナ禍が収まらないけど、コロナは僕らに考える機会を与えたと思う。何がほんまもんか。何を選択するのか。何が自分の人生に価値をもたらしてくれるのか。真剣に考える時間と機会を社会にもたらしたとも思っています。
社会の在り様が変わり、ガラガラと音を立てて消費構造も変わり、格差が広がり断絶される社会のなかで、しばらくは人間社会は右往左往しそうですが、不要不急という言葉が頻繁に繰り返される社会において、僕たちのような芸術や文化に携わる仕事が不要不急だと言われる世の中になったとしたらゾッとするね。
幸い、ステイホームで家にいる時間が増えるなか日々の暮らし方や時間に目を向けるようになり、自分の空間を大事にしたいと思う人たちも増えたようで、自分の空間を守りたいからと声がかかることも増えましたが。
縁起のいい文様を、ふすまや部屋のしつらえに取り入れて、不安なご時勢から自分を守ろうという人も増えたのではないですか。
衛生的に徹底して「身体を守る」だけでなく、未来への不安から解放され「心の平安」を担保したり、祈りの文様に包まれて「霊的にも守られる」という拠り所がないと、本当の意味で免疫力の活性って望めないのかもしれません。日本人はそのスイッチを入れるがうまいというか、もしかしたらそれがファクターⅩにも関係しているのかもしれません。
平成の時代には平成の祈りが、令和の時代には令和の祈りと想いがある。「よりよくしよう」「よりよくなるように」と他者に想いを馳せ、祈りを捧げ手を合わせるのは、人の姿としてとても美しいものだと思う。
伝統というものは受け継ぐだけのものではなく、その美しさの在りようも含めて未来への「種」として伝えていくこと、伝え続けていくことだと僕は思う。
江戸時代から代々受け継ぐ600枚を超える板木を継承すると共に、いまここにある現代の祈りを100年先の未来の人に伝えるために、今を生きる人たちと共に新しく文様を創り、新しく板木も作りました。100年後の人々に僕らの「今」を知ってほしいと平成が終わる年に始めたのが、平成-令和の百文様プロジェクトです。
未来への「種」とおっしゃいましたが、なぜ種なんですか?
僕らは、なにかもうすっかり完成されたものをそのまま未来に引き渡し再現してもらいたいということではないんです。100年後の未来には、未来の人が生きていて、暮らしていて、その時代の空気というか、そこにはそこの色んな想いや祈りがある。時代はこれからも変わり続けます。人が何をどう感じるかということや、物事の見え方や解釈もその時代ごとに移り変わるものだし。それらを受け入れる余白が必要だと思うのです。どう育つかわからんことも含めて、完成形ではなく「種」なんです。その100年先の時代との「共同創造」をしていく種をいま残す、ということ。それが伝統なんやと僕は思う。
そのときどきの時代精神とのコラボレーション。それをする「種」を残すというですか。
そう。以前、10年以上前ですが、フランスのルイヴィトンが、アトリエを訪ねてくれて、ある文様を見て、ものすごく反応されたんです。それはとても西洋的な文様なんです。「これは誰がデザインしたのか?」と聞かれたんです。僕は板木を見せて「江戸時代です」(笑) 江戸時代の精神が、その文様を産んだんですと。彼らのメゾンの歴史のはるか昔に、その優れた文様が存在していたことに驚かれていました。こうやって文様は、西と東を往来しながら人々の想いや物語を紡いできたのです。文様は民族も国も、そして時代をも超えて旅をしていると言ってよいでしょう。僕は、これらの文様を通じて西と東を結んで世界を平和にしたいと願っているのです。
人の祈りが折り畳まれている文様には、なんやわからんけど、体温があるんです。先人が、そのまた先人も、ずっと祈ってきたんやと。それを受け継いで来た光には、ぬくもりがある。人間を介さない伝統なんてないわけだから、今を生きる人間として未来にそのぬくもりを伝え続けていくことが、伝統なんやなと思う。
その祈りのぬくもりを暗黙知としてつないでいくことが日本人のサスティナビリティにつながるのかもしれません。
文責:小林ゆか
『雲母唐長』の
平成-令和の百文様プロジェクト
このプロジェクトは、唐紙文化の普及を通じて、日本文化の普及を鑑み、伝統と継承、循環と再生のサイクルを創造し続けることを意図しています。
100年後の京都に生きているサスティナビリティな文化プロジェクトとして誕生しました。
今を生きるわたしたちの祈りや願いの物語が込められた新しく生まれた100の文様。
凡そ400年という長い時を経て育まれ伝承されてきた現行の文様とともに、平成から令和の時代のリアルな息吹を経て、100年後の未来にその文化を伝えようとする試みです。
唐長考案文様に加え、多種多様なクリエイターやブランドとのコラボレーション文様、一般公募文様の3つのカテゴリーから百文様を選定。
多様性と変化を受け入れてフィルターに通すということが、伝統の新しい力になると考えられ、生まれました。
本プロジェクトの主宰者でもある雲母唐長の唐紙師トトアキヒコさんが、お客様と向き合い、日々唐紙をつくり続けているなかで、「これは100年前の板木です」「200年前の板木です」といま伝えているように、これから100年先のお客様にも、「これは100年前の平成の板木です」「これは令和に生まれた板木です」と会話をすることができること。それが本当の意味で「伝統をつないでいく」「受け継いでいく」ことだと感じられ、このプロジェクトに踏み切られました。いろいろな方面から協力者がこの志に賛同してくれるなか、「賛同者がいること、それはすなわち、継続していいんだ」と思えたそうです。そのことがとても嬉しかったそうで、持続可能な文化を目指すこのプロジェクトを進める原動力となったようです。
「板木を彫る彫師が途絶えた」「文様を考案するひとがいなくなった」という現状から、新しい板木を起こすことに積極的にならず、ただ過去を継承していくだけでは、本当の意味で伝統をつないでいくことにはならないと考えられたそうです。
バトンランナーとして、
未来の時計の針を止めてはいけない。
なにかがつづくということは、つづけているひとがいるということ。
と気づいたのだとトトさんは、おっしゃりました。
唐紙が、この先も100年、200年と伝わり、人々の心の安らぎや幸せをつないでいき、わたしたちの未来も見守ってくれることを願います。
世界が平和であることを祈り続けるためにも、代々、祈り続けた人がそこにいたことを伝えるためにも、そして、その時空を超えて折り重なった想いや願いが、誰かのしあわせにつながることを。
100年先の未来の人へ。未来に、人が祈ることのぬくもりを伝える100の種として、送り出された百文様です。
参考『人生を彩る文様』(講談社2020年)
ハーモグラファー 澤野新一朗氏写真は一瞬を切り取っていても、そこには、その花や景色の持っている光やエネルギーが転写され人を感化する。
今回、植物の声を収録し提供していただいたのは、澤野新一朗さんです。澤野さんは、南アフリカの『神々の花園』のお写真で各地で個展を開かれるなど、お花や自然を撮った写真で定評があり、国内外でご活躍されています。カメラマンとしてだけでなく、音やフラワーエッセンスなど多岐に渡る幅広いジャンルで活動されています。
僕はカメラマンとして一時、報道にいたんですが、そのあとは自然をメインに撮影をしています。今から30年ほど前に、地球最大の野生の花園に出逢う機会がありまして、以来、ライフワークのひとつとして、その花園を撮り続けています。
場所は、南アフリカ共和国のケープ地方ナマクワランドというところです。昨年と今年はコロナで行けなかったんですけど、それまでは、毎年訪れて、毎年変化するその花園を撮影したり、その花園を観てみたいという人に向けてツアーを企画したりしていました。
その花園は、『神々の花園』と呼ばれているそうですが、それはどうしてなんですか。
その花園のある場所はケープ地方の西ケープ、北ケープに跨る広大なエリアなんですが、一説には4000種類以上の花々が一度に咲くということで、世界中から、生物学者、植物学者、昆虫学者たちが訪れてリサーチをしています。彼らに会って話を聞くと、この南アフリカの花園が植物の種類においても規模においても地球最大だろうと口を揃えて言うわけです。まったくの野生の花園で、広大な荒野のなかに、一年のうちのある期間だけ毎年一斉に花園になる場所があるわけです。現地ではgarden of the Gods.と呼ばれている場所なんです。
そんな広大な野生の花園というのは、日本人にはイメージしにくいかもしれません。
日本人が日本でイメージする花園というと、○○公園だとかフラワーパークだとか、広くても、北海道の美瑛とか富良野とかだと思うんです。でも、それらはみんな人がいて管理していて、整備して出来ている花園なんですよ。ところが、南アフリカのその場所はすべてが野生なので、人が種を植えたとかではなく、風で自然に種が運ばれて落ちたその場所が翌年花園になる、という・・毎年、花園の場所が移動して、翌年どこでどういう花園が生まれるか人にはまったくわからないわけです。ただただ、荒野のなかのどこかに、毎年、一面に広がる手つかずの花園が生まれているわけです。
神のみぞ知る花園、というわけですね。
毎年、その年の雨の降り方とか気温によって、花の咲き具合が違うんです。風で種子が運ばれる植物もあれば、地下茎の球根の植物もある。そこにはかなりの種類の植物があるんですが、普段はタイムカプセルみたいに眠っていて今年は自分たちの出番だなと思った植物たちが、一気にぱーっと咲くんです。
では、そこに咲く花の種類も毎年変わるんですか。
変わります。過去30年間、同じスポット・同じ場所に立っても、同じ風景は一度もないんです。微妙に色のグラデーションが違ったり、咲く順番が違ったり、毎年違う花園になるんです。それをかれこれ30年間撮り続けてきました。
30年ずっと撮り続けてらっしゃって、澤野さんとその花園との意思疎通ができているせいか、澤野さんの花園のお写真は、単にきれいだなという景色としての魅力だけでなく、野生の花の光というか植物の生命力の強さを非常に感じます。写真に向き合っていると、花の光を浴びているような心地よさがありますね。
僕が一番最初にこの花園を日本に紹介したんですけど。それから、ぜひこの場所に自分も行きたい、自分の目で観てみたいという声を多く聞くようになって。24年ぐらい前から、その花園へ行くツアーを企画することを始めたんです。それから毎年ツアーを催行しているんですけど、その花園へ連れていくと、訪れた人たちがみんな元気になっちゃうんですよ(笑) みんな子供のような笑顔になって、ともかく元気になるんです。みんな花からパワーをもらうんですね。悩みを抱えて来た人も悲しい状況にいる人も否応なしにアーシングされてしまう、凄まじいポジティブなパワーがその花園にはあると思います。圧倒的なエネルギーなんです。僕はその大自然のエネルギーをどうにか日本へ持って帰りたいという思いで、写真だけでなく、そこの現地の気配が伝わるように自然の音を収録したり、その花園の花で作ったオリジナルのフラワーエッセンスを作ったりして、現地のエネルギーを日本で再現できるように活動の幅を広げてきたんです。
澤野さんは、ご自身のことを「自称ハーモグラファー」と名乗ってらっしゃいますが、そういう思いがあってのことですね。
そうです。ハーモグラファーというのは、ハーモニーとフォトグラファーを合成した造語なんですけど(笑) 撮った写真を通して、大自然のエネルギーと調和するような影響力をそこに感じてほしいからです。写真ていうのは一瞬を切り取っていても、そこに写された光やエネルギーは、明らかに、それを見た人を感化し、影響を与えるものだからです。
そして最近は、植物の声を収録するコンテンツも積極的に展開を始められました。
30年ぐらい前に、あるところで、植物学者のセミナーに参加したんですけど、観葉植物に端子を付けて、パソコンを通し、その植物が発している生体信号を音に変換する、というのをやっていたんです。そのときは、大型のシステムだったんですけど。僕は「サボテンにも感情がある」というのが頭にあったものだから、そんなふうに植物の感情を音に変換して表現できるのはおもしろいなと思って感動したんです。
植物に端子を着けるというのは、クリップで葉と葉をつなぐということですか?
そうそう。よくクラシックを植物に聴かすと成長が違うとか言うでしょう? これは、その逆ですね。植物体がどういうメロディを奏でているか。植物体がどういう感情を持っているかを音に変換するという・・・。
それから興味を持って海外の文献なども読んでいたんですけど、あるとき、、3年ぐらい前かな、知り合いの家に招かれて行ったときのことです。そこの応接間には蘭の鉢植えがあったんですけど、そこの奥さんが、「今日は澤野さんがお客さんでいらしたから、ちょっと音楽を奏でてくれる?」と言って、ある機械を通して、蘭の声を聴かせてくれたんです。そのとき、30年前の記憶が蘇り、「この機械が欲しい!」と思って調べたら、それはイタリア製のダマヌールというメーカーの卓上型の機械だったんです。その話を「こんなの見つけたよ」とハワイにいる友達にしたら「それってMIDIスプラウトのこと?」って、今度はカリフォルニアで作っているモバイルで使える機械を紹介してもらって。それから、家の周りの植物の声を収録したり、南アフリカの花園にも持って行って収録したりしていました。
植物は、葉と葉、根と根が互いにコミュニケーションしていて、「あっちに水脈があるよ」とか「こっちは危険だよ」とか信号を送り合っていると言いますが、そういうコミュニケーションの声が聴けるわけですね。植物によって、テンポやメロディラインの雰囲気が違いますよね。
そうですね。植物によって、独自のテンポや旋律を持っています。ヘチマは、にぎやかというか、愛嬌があってチャーミングなかんじ。ハスは、どこのハスを収録しても、みんなとってもゆったりしていて、スケール感があるかんじ、こちらの呼吸が深くなるような声をしています。瞑想とか、リラックスしたいときには、ぴったりなんじゃないでしょうか。
不思議なことに、植物のメロディには繰り返しがないんですよ。そして、揺らぎがある。それは、どの植物にも共通しています。
それと、今日は元気だなとか、ちょっと病気かなとか、日によって音色が変わります。植物は夜は寝ているからゆるやかな音色になり、朝になって陽の光が当たると活発になる。日向と日陰で音色も変わります。
土壌の状態や大気の状態など、環境によっても、変わるんでしょうか?
変わりますね。植物が機嫌良く綺麗な声を聴かせてくれるよう、人と植物が気持ちよく響き合い、コミュニケーションを取っていけるような。そういう環境を意識していきたいと思います。
様々な場所に生息する植物を通して、地球の声が聴けるような気がします。
文責:小林ゆか
株式会社レスポンスアビリティ代表 足立直樹氏どこにどういう生物がいたのか。どういう風土で、人がどう工夫したのか。それらすべてが文化になるんです。
暮らしを通して、文化とサスティナビリティについて想いを廻らしてきましたが、京都市は「生物多様性プラン」を「生物多様性と文化」というアプローチで文化を絡めて展開してらっしゃって、とても興味深いと思いました。足立さんは、その骨子を作成された委員のお一人でもいらっしゃいます。
現在、世界中の生き物の25%が絶滅危惧種で、このままの状態が続くと、この先10年20年でこれらの種は絶滅してしまいます。恐竜の絶滅など今までもそういう危機的な状況が地球の歴史の中では5回あり、今が6回目だと言われています。けれど、今回は今までの100倍ぐらいのスピードで絶滅が進んでいるのです。生き物がいなくなり、生態系が傷つき機能しなくなると、想像がつかない悪循環も予想されます。例えば、ミツバチがいなくなると、植物の受粉が媒介されなくなり、私たちが食べる野菜や果物の6〜7割がなくなると言われています。蜂蜜だけの問題ではないのです。そんなことになっては大変なので、生物多様性を守っていこうという動きが国際的に進み、国内ではまず国家戦略を作り、さらに自治体は地域戦略を作ることが求められているのです。
私は生物多様性の保全にも、地域の企業を巻き込みたいという想いがありました。なぜなら、地域の企業は地域の資源で商売をしてきたはずです。地域の文化は地域の自然に支えられて来たのです。伝統工芸や伝統産業は地域にとって大事な資産。それを生き物との関係で見直す必要があると思うのです。生物が減っている原因のほとんどは人間活動。人間の経済活動に負う部分が大きいのですから、今度は人間が守る番だと思うのです。
地域の文化が絡んでいると、数値的な把握だけでなく、非常に生活に馴染みがよく、身近に感じますね。
そうですね。例えば、京都のお祭りを続けるためには、京都の生き物が必要です。祇園祭りに配るちまきを作るのにはチマキザサが必要です。それが今、減っているんです。なぜかというと、シカが増えて、ササを食べてしまうのです。温暖化の影響で冬越ししやすくなって、シカが増えてしまったからです。自然のバランスが崩れてチマキザザが少なくなってしまったので、今はちまきの本数を減らしたり、値上げをしたりしている状況です。
文化にも非常に影響が大きいということですね。
はい。祇園祭と並ぶ京都三大祭りのひとつに葵祭がありますが、これはすべてを葵の葉で飾ることからそう呼ばれるのですね。御所から賀茂神社まで行列してお参りするのですが、賀茂神社の神紋がフタバアオイなんです。みんな、葵の葉をつけてお詣りする。そのために毎年1万本以上のフタバアオイが必要なんですが、これも激減している。フタバアオイが自生するような環境が減ってしまったからなんです。天然のフタバアオイがなくなってきて、今は京都の中でフタバアオイを育てましょうという運動が生まれています。自宅で小さな鉢で育てて、それを葵祭りのときに寄付をする、という活動もあります。
京都は襖の文様にもフタバアオイは多いですし、舞妓さんの帯やお着物の柄にもよく見かけます。そういう文化のなかで、生物多様性を感じるようなシチュエーションというか風景をよく見かけます。
そもそも昔の人が使える資源は、そこにもともと生えているものとか、そこにある身の回りのものしかなかったんです。お料理も京野菜とか、他の場所とは品種がちょっと違いますよね。堀川ごぼうなんて直径が4、5センチもあって、大きさも形も違います。中をくり抜いて他の食材を詰めたりする。そういうごぼう料理は東京にはないと思います。
テロワールみたいなかんじですね。
そうですね。土が違って気候が違って、場所ごとに食べものが進化していく。聖護院かぶらもそうですよね。千枚漬もあの大きさだから生まれたお漬物。その地域の風土に合わせて文化が進化して来たのです。夏に鱧を食べるのは、鱧は生命力が強くて暑い夏に運んで来ても大丈夫だったからだそうです。そもそもどこにどういう生物がいたのか、それをどういう風土の中でどう工夫して利用して来たのか、そういうことがすべて文化になったのです。もともと日本中にそういう文化はあったはずですが、どんどん新しいものに置き換わり、古いやり方は捨てられてしまいました。けれど、そういうものをちゃんと残して来たのが京都という町だと思います。
足立さんはもともと東京に拠点がおありだったのに、3年前に京都に事務所ごと引っ越しされた。それは、そういう想いがあってのことですか?
日本が海外からどう見られているかというと、「技術立国」、高い技術を持っていて品質の良いものを世界中に供給している国というイメージだと思います。それは一面事実です。ただ、日本の技術的な競争力はこの20~30年でかなり落ちてしまいました。平成の始まりと終わりで比べてるとわかりやすいのですが、バブルが崩壊する直前の平成元年、つまり1989年ごろはまだ世界のGDPの15%を日本が占めていました、1億人しかいない国なのにです。工業立国というのは名実共にその通りだったんです。けれど今や、GDPは世界の5%近くまでに減っています。なんでそうなったのかと言えば、中国などの新興国が急伸したことがあるわけですが、工業的なものは真似できるのです。日本もそうでしたが、新興国は先進国の真似をして伸びるのです。
イギリスもアメリカも経済発展するにつれ工業の競争力はむしろ低下しましたが、イギリスは金融ビッグバンで盛り返し、アメリカはITなどで復興したのです。どちらも工業でもう一度盛り返すのではなく、新しい産業に乗り換えることで復活したのです。しかし、日本はこの30年間それが出来ませんでした。出来ないどころか、日本にはもうそれをやる気がないようにすら思えます。と言うのも、日本の企業経営者や行政の方と話をしていても、新しい産業のビジョンをほとんど聞けないのです。製造業だけではもう戦うのは難しいから次はこういう産業で戦おうというビジョンを持っていないように思います。それどころか、いまだにモノづくりと言っている。日本はモノづくりの国だと皆さんおっしゃるのです。でも、そういうのはもう本当に過去の話なんです。大量生産・大量販売で稼ぐビジネスモデルはもう終わりなんです。そういうことを考えると、東京の大企業からは新しいものはあまり生まれてこないんじゃないか、と。じゃあ日本はどうやって生き残るのかということなんですね。
私はコロナ前は国際会議に出席するために海外によく出かけていたのですが、モノ作りの国、経済大国としての日本への期待は最近は感じられませんでした。では、日本の何に興味を持っているかというと、文化なんですよ。日本には彼らの国とは圧倒的に違う文化があるからです。しかも、多くの人が興味を持つのは伝統的な文化です。これからの日本がもう一度復活するためには、また経済的に成功するためには、やっぱりこの文化を大切にして、生かしていくしかないと思ったんです。もちろん京都だけでなく、日本中どの地域にも古い文化があります。ただ多くの地域では、古臭いやり方より現代的なものの方がいいと切り捨ててしまっています。でも新しいものなんて世界中同じなんですよ。新しいものはいくらでも真似できるけど、古いものや歴史は真似できません。古いもの、歴史のあるものは競争しても負けようがないんです。もちろん京都以外の地域でも、そういう古いものも残っています。ただ、外国の方は知りませんからね。だから、京都がそういう日本の古い文化へのゲートウエイなんです。そこから、日本発の新しい価値を磨いていこうと思った、それが京都に移った最大の理由です。
日本発の新しい価値というのは、新しい豊かさのようなものですか。
そうですね。もちろん古いものというのは、単にモノだけではありません。京都というのは古い都市ですから、都市の暮らし方にはついて長い経験に基づく知恵があります。だからこそ長い間続いて来たんです。そこに今の世界が求めている持続可能なライフスタイルのヒントや、それを現代的に仕立て直すことで新しい価値観を生んだり、そういうことができると思っています。多様な生き物と一緒に季節を楽しみながら暮らすことを、もう千年以上も続けてきた町ですからね。
日本はもともと、八百万というダイバーシティが大前提の国ですものね。サスティナビリティも生物多様性も今はなにか海外から来たもののような印象もありますが、もともと、日本人の大本にそれがあるということを再認識して生かしていければと思います。
文責:小林ゆか